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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

パトロン提供と庶民提供の話

    最近はあまり聞かれなくなった言葉に、パトロンと言う事があります。日本語で言えば、後援者・賛助者などで資産家や特権を持つ人が、主に財政支援をする人達を言うようです。現代でのパトロンは、必ずしも金銭援助に限るわけではなく、パトロンの人脈や影響力によって貢献するケースもあるとも言われています。日本流では、「たにまち」などと言う事もあります。パトロンの存在で栄えたのは、文化・芸術の世界です。西欧の美術・音楽では長く、パトロンとして王侯貴族や教会、資産家が援助して大きな発展を遂げましたし、日本ではお抱え絵師などと、時の権力者の専属になることで繁栄したものも見られます。国威高揚や国会威信のための芸術・文化もあるのですが、パトロンという資産家の個性によって開花した音楽や美術もあります。日本も、戦前には財閥とか貴族とかの個人的な支援による文化もありましたが、戦後は個人的な支援は出来なくなり、一つはスポンサーと呼ばれる広告主による資金集めの方法や家元制度などに見られる弟子達からお金を上納させる方法の他に、全くの一人一人の庶民から小銭をかき集める方法などに別れていきました。スポンサーは、基本広告主で、スポーツ、イベント、映像などの作品などを通じて、 自己アピールのための手段に利用しますが、広告主の都合で継続的な安定は期待できません。家元制度のようなものは、資格制度としては案外有効ですが、弟子という条件が必要です。これに対して、ファンという不特定多数の庶民から小銭を集める方法は、音楽の分野で効果を上げました。特に、音楽が、生ではなく録音による機械の発展により、個別所有が出来ると言うことで、個人への販売による収益で成り立つようになりました。絵画は、版画でもないと一枚描いて販売すればそれで終了ですが、レコードという媒体は何枚でも生産でき大量に個別所有が可能でしたから音楽の資金は、個人のレコード購入という方法で大きく拡大しました。

 器機の発展はさらに、個人所有が簡便になった音楽の分野で、広く個人からの収益で活動することが基本になりつつあります。当然、身元のはっきりした社会的地位のある資産家の応援とは違い、不特定多数となりますから危険は増大します。資産家は捨て金のつもりで支出するのでしょうが、全くの個人の中には、生活を切り詰めたり、疾病的に拘ったり、誤解や錯覚も生まれます。つまり、大口のパトロン提供は、パトロンが気に入れば良いのですが、庶民の小口提供は不安定要素と当たれば大きいという博打的要素を持っています。同じ事は、江戸時代の浮世絵なんかにも見られ、お抱え絵師とは違う町絵師として個別な 人気作家も出て盛行します。しかし、美術の個人所有は写真などに取って代わられても印刷という技術の進展もあり本人と客との関係は個別ではありませんでした。ところが最近は、音楽を初めとして小さなパトロンかのような自己主張する庶民提供者が現れてきて問題を起こしてもいます。文化・芸術は、生産性はありませんからどんな形にせよ、必要な資金を集める手立てが必要です。そして、今ファンという不特定多数の共感者の奪い合いが延々と続いています。国というパトロンが簡単に支配できる分野だからこそ、成熟した庶民提供が堅固になるといいと思うのです。