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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

歩行は蹴りだの話

 人は、歩く姿に、その人生の一編を語ります。二足歩行というのは、不安定ですが、機能的でもあります。立位から、歩き出すには、転倒しないための重心の移動という視点はあるのですが、歩行その物で考えれば、蹴りの度合いが、肉体年齢の指標でもあります。それがよく見えるのが後ろ姿なので、人生と重ね合わせて後ろ姿が語られることもあります。人生という、長い二足歩行での労働が独特な、歩行形態となって生活感を醸し出すと言う事も有るかも知れません。歩行には、立位から、上体を前に倒していけば、倒れまいと片足が出る支持反射としての反射を利用する歩き方もあります。また、股関節を利用して、すり足のように前に出すとか、遠心力を使うなどの方法もありますが、基本は、いずれかの片足が、地面なり床面なりを蹴ることで前に進むものです。この事は動物でも同じで、四足歩行する身近な犬などを見ても、年齢を推定するときには後ろ足の蹴り具合で老若の違いが分かります。足は、あまり演技できそうもないように見えますが、実際は足は、以外と演技者なのです。そして、足には、一人一人の個性が手よりも、顔よりも出るのです。例えば、歩くときの、外股歩き・内股歩きだけでも性格が出ます。座位の場合でも、股を広げるか、広げないかに拘る人も多いですし、足を組むという姿勢にも、個性がはっきりと出ます。特に、足の位置は、置き場所で社会との関係が明確な場合がよくあります。単純に立ち位置の足だけでも、上下関係やその時の状況は現れますし、貧乏ゆすりなんてその時の精神状態を足で表現している事例でもあります。顔や手と違い表現力は地味ですが、足は生活感の塊でもあります。それは、足裏、靴にはっきりと歩行の癖から、性格まで刻まれていることでも分かります。歩く後ろ姿の足下の靴の変形こそがその人の生活でもあります。そんな足の、機能としての歩行は、踵から着地し、つま先で蹴ることで体を前に移動することが基本です。四足歩行では、しっかり安定していて重心の移動や腰の振りでは前に進まず、しっかり後足で蹴らなければなりませんが、二足歩行では、この蹴りだけでない方法も使用することで複雑な歩行を可能にしていることで、生活や性格が表れるのだと思われます。特に、不安定な二足立位を支えるためには、安定した重心位置の確保のために、てこやバネとしての筋肉の働きが複雑に絡んでいますし、小さな力で、体重という大きな荷重を自由に稼働するには、顔の表情以上に、足は機能を働かせています。ですから、ロボットが様々に開発されても人間の顔の表情と同様に足のような機能は中々作れないのです。

 四足動物は、前に進むための蹴りの機能を後足に持っていますから、後進は苦手なのです。そして、たまたま二足歩行する動物がいても、二足での後進を見かけないのは、機能として飛ぶでもしないと後進する方法がないからです。前に進むには、蹴りが基本です。でも人間は、二足歩行により、蹴りだけではない方法で前進する方法を獲得しました。初めから考えていたとは思いませんが、遺伝子は、前進優先の歩行だけでなく、左右にも後方にも自由に移動できる機能を溜め込みました。それが多様性というものだと思うのです。つまり、人間と動物の違いには多様性を活用するという機能を持ち合わせているかいないかに関わっていると思うのです。これだけ性格の違いや個性の違いが出るのも多様性という機能があるからだと思うのです。蹴りだけではない歩行を実現したように、持てる多様な機能を活用できる機会が望まれていると思うのです。