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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

乞食がいた時代の話

   日本では、物乞いは、法律で禁止されています。お大袈裟に思いますが、日本国憲法第27条の勤労の権利と義務から、軽犯罪法1条22号で、こじきをし、又はこじきをさせることを禁止し、違反者には拘留又は科料刑事罰が規定されているのです。さらに、児童福祉法34条1項2号で、児童にこじきをさせ、又は児童を利用してこじきをする行為を禁止し、違反者には3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金、又はこれの併科とすると言う刑事罰の規定が有るのです。これだけ厳重に規定されているのは、過去に乞食がいて、子どもが乞食をさせられていたという事実があるからです。実際今でも、外国では、子どもの手足を切り落としてまで、乞食をさせているという国もあります。戦後の日本では、働かずにお金を欲しがることは法律で禁じられているのです。元々乞食は、「こつじき」と言う仏教の僧侶の行為ですが、同じにならないように、「こじき」と読んで区別しているようです。同じような言い方には、「物乞い」なども有りますが、自分の為に金銭を使わないと言う理由で行われる、募金活動は乞食とはされません。だから悪用して募金活動で生活している人もいますが、罰せられると言う事まで立証することが出来ずに偽装した乞食行為もあります。さらに、宗教上の活動や信教の自由に基づく活動も除かれていますし、労働しているという点で、パフォーマーの投げ銭を求める行為も乞食とはなりません。正し、現在の日本では、路上でのパフォーマンスなどの営業は殆ど許可は下りません。最近の、不特定多数の人々から資金調達を行う、クラウドファンディングも適法と言われています。それに、ホームレスも乞食ではないと言われています。何故なら、乞食は家がある場合があり、家がないというホームレスとは違うと言う事です。そして言い訳のように、ホームレスは、空き缶や屑鉄拾いなどで日銭を稼いだりと労働しているからとも言われますが、ホームレスの方が法律を知っていて、安易に路上で乞食行為をしてしまうと、逮捕され、軽いとはいえ処罰されてしまう恐れがある事を知っているからだとも言われています。そして、乞食をしなくても最後には、生活保護と言う、憲法生存権保障があるから乞食をするようなことはないというのが前提です。戦後乞食的な行為があったのは、元軍人で戦争により身体障害となった人達が、都会の人通りが多い駅前や、祭りや縁日に来て、通行人から金銭を得ていたと言う事です。この様な人を傷痍軍人と言っていました。国のためにと強制的に戦争にかり出され身体障害になったのに大した保障もしないくせに、みっともない真似するなと言う国に対しての抗議の乞食行為だったのかも知れませんが、戦後の混乱の風景として歴史に沈められてしまいました。乞食は、日本の高度経済成長の流れの中で、憲法上の国民の勤労義務を根拠として、労働もせずに他者から金品を得て生活することを防ぐと言う建て前で一掃され今見ることはありません。同じように、四十年前ぐらいには、身体障害者の募金だとして公立の学校で生徒に鉛筆を販売していたと言う事実もあります。

 日本の美徳という観点からすると、乞食は恥ずべき行為で、差別を受けて当然の人の行為として、晒すという意味でもありました。そして戦後街の美観としての乞食は排除しましたが、貧困そのものがなくなったわけではありません。つい30年ぐらい前は、大新聞だって宅配の中核に中学生や高校生を使っていました。子どもが労働力の一端をになっていた時代はそんなに遠いことではありません。差別の象徴のようなライ病(ハンセンシ病)の法律が廃止されたのもついこの間です。つまり、今の豊かさで見えなくなっている沈殿した貧困が、再び乞食をせざるを得ない人々を社会に晒すかも知れないのです。今私たちは、外国の犬を食べるという習慣に驚き笑いますが、日本国内にもカラスを食べるところもありますし、少し前までは、ハムのつなぎにウサギの肉を使っていました。寒雀はおいしいと食べたりしていた時代の事はすっかり忘れて、上品そうに他者を非難することばかりが多くなってきました。有るテレビで、アフリカの放送局が日本の紹介番組を作るために来日しているところを放映していました。その中で、レポーターは日本の有名な蒲鉾を食べるとき日本人がアフリカで昆虫を食べるときのように大袈裟に叫んでいました。「シャーク」。鮫を食べる文化がなければ、私たちが昆虫を食べる文化に驚くのと同じです。ところが、最近のテレビなどは、相手の文化を大事に紹介するではなく、物珍しい未文化というような取り扱いをしています。ほんの少し前までは、欧米にとって日本は、生魚を平気で食べる異常な国とされていたことさえ忘れています。歴史と言えば、政治が深く関わりますから、公的には現代に関わりが少ない時代ばかりを教えようとしますが、ほんの少し前の貧しかった日本を学ばなければ、今の良ささえも、隠れてしまった問題も見つけることは出来ないと思うのです。乞食がいて、公の差別があって、貧しさのなかで、学ぶことも出来なかった日本が、数十年前に存在したことを考えるべきだと思うのです。