知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

「気」が見えるようになる話

 気という字は、「湧き上がる雲」の意味と「穀物の穂の枝の部分とその実」の米粒のように小さい物の意味があり、「蒸気・水蒸気」も含むと言う漢字で、心・精神に関わる熟語がずらりとあります。気質・気運・気炎・気概・気軽・気位・気苦労・気心・気質・気性・気色・気勢・気絶・気転・気長・気迫・気品・気分・気前・気弱・気楽・気力・気色・気配・気持等々、「気」を使います。「気」の考え方は、中国・インドの考え方が原型で、宇宙を説明するものですが、日本では、物の構成要素や素材など物質的な要素は取り入れず、生命力、勢いや気分・意思・場の状況・雰囲気など、精神面に関する要素に使われています。例えば、気になる、気をつける、気を使う、気が散る、など、目には見えない「気」と言うものが、感情・精神の状態を表す言葉として用いられています。この「気」に着目したのは、人間を含めて動物が息していることから発します。息をすることは生きている事で、目には見えないのに、生命を司っている何かがあると言う経験的な事実から、見えないけれど生命の根源エネルギーを、霊的・生命的に捉えて「気息」と考えました。ですから、「気」は「気息」呼吸と言う事が原点にあります。同じように、自然界では目には見えないのに動いている風。そして、雲。水蒸気。それらを「大気」と考えました。自然界の、風は大気の流れで、その大気が体内に取り込まれ、生命として働らく。だから、流動する「気」が適切に動かなければ、人間の健康は保てず、自然界の大気が乱れると天気が乱れると考える事で生命の根源を説明したのが「気」と言えます。実際、物体は、その物体の温度に応じた、赤外線を出していて、人も体温煮見合った、遠赤外線と言われる周波数帯域の電磁波を出しています。今ではそれを器機で測定して証明することが出来ますが、昔は、証明は出来ませんでしたが、体内に入った気は、出て行くという考え方を確立していました。ですから、目に見えない「気」と言うエネルギーによって自然は生きており、この「気」をコントロールすることが出来るようになるというのが、人間の憧れでもあったのです。この気を元に、漢方医学風水などの占いも組み立てられています。当然中国の先進文化に敏感な日本でも、この「気」の考え方を自然崇拝の神と混合して取り込みます。それは、武道だけで無く、社会全般の考え方の基盤となっています。同様に、見えないけれど存在するのが、「電磁波」です。電磁波というのは、電気と磁気の両方の性質をもつ光速の波のことで、電気が流れれば、必ず電磁波が生まれます。電磁波というと馴染みが無い様に思われますが、電磁波の周波数の違いだけで実は、放射線も電気も太陽光も同じだと言う事はあまり認知されていません。人間は、有益・不利益や身近・疎遠などの感覚で個々に覚えますが、本当はみんな一緒なのです。周波数の高い、放射線ガンマ線、X線など)、光の仲間(紫外線、可視光線、赤外線)、そして電波(携帯電話 TV放送、ラジオ放送、電子レンジなど)さらに、超低周波(家庭用の電気、送電線)と電磁波はなっています。そして、生物によっては、紫外線や赤外線が感知できたりしますが、人間は、植物の光合成の為の目という遺伝子の中で、可視光線という物だけしか見えないのです。この他にも、素粒子ニュートリノなどはすり抜けていきますから、もちろん見ることなど出来ません。

 人間は、自然の中にある電磁波の極一部、可視光線しか感知する機能を持っていないのです。だから、それを何とか探し続けて器具や機械を作り続けました。現在の成果は、超低周波の電気だったり、放射線の一部だったりしています。人間は、不老不死を求め、見えないエネルギーを探し続け、確認出来た物を科学的と言い、確認出来ない物を感性的としてきました。だから、この後、生命を司るだろう「気」を見つけるかも知れません。根源たる「気」が見つかるなら、生命体として疾病も傷害もない、完全な身体と心を得られるのかも知れません。つまり、神様、仏様しかいない世界が出来るのかも知れません。出会った人に「元気ですか」という挨拶は必要ない、「気持ち」なんて考えなくてもいい世界かも知れません。しかし、今は、一人一人の「気」が迷走しています。悩み傷ついています。大きく息を吸える、「気息」が難しくなってきています。「気」を思い切り吸い込み、「気」を思い切りはき出せる、呼吸が必要です。