知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

汚れも穢れも洗濯できるの話

  有名な魏志倭人伝には、倭人の男子は成人・子どもにかかわらず、顔や身体中に入れ墨をして、魔物の害を避けたと書いてあります。そして、人が死ぬと死後十日程度、喪に服すとして肉をたべず、喪主は泣き、他の人達は歌ったり踊ったりして酒を飲む。喪があけると、家中総出で水中で清めるとしています。そして、卑弥呼は、鬼道を使いこなし、人々を惑わせる力があったと書いてありますから、呪術的なシャーマンとして存在したと考えられます。この記述から分かることは、縄文的狩猟採取生活では、動物を含めて生死は常に存在しますから、死が不浄と言う感覚よりも、魔物(怨霊)が自分の中に入り込むことを避ける、清めが必要だったと思われます。それは、魔物が体内に入ることは、疾病であり死でもありますから、入れ墨で拒否を示すとともに、海水・水で身体を清める禊ぎが必要としたのだと思われます。さらに、神に捧げ物をしてご機嫌を取るのに、貢ぎ物として死んだ動物や魚を捧げるのですから、死が不浄と言うことではないと思われます。つまり、自然崇拝の中の狩猟採取生活で行われていた、禊ぎ(みそぎ)や祓い(はらい)は神への謝罪的行為で、この時代は天災としての神の怒りもじっと耐えていれば済んだのです。ところが弥生的農耕定住では、自然の災害は、年間の収穫を左右するものであり、神の怒りには何か原因があるものであると考えざる得なくなるのです。狩猟採取では、今あるものを獲りに行けばいいのです。農耕では栽培種の育成期間の数ヶ月収穫できないだけでなく、天災や害虫などがあれば、収穫は出来ません。つまり、狩猟採取では、食べることが出来る物が有るところへ移動すればいいのですが、農耕によって移動しないそこでの収穫だけに依存する生活では、自然の大きな変化は生活に直結しますから、天災があると誰かが責任を取る必要が出てきたのです。その象徴となるのが穢れです。仏教では、死は輪廻転生の一つに過ぎませんから、穢れという概念はありません。今日の葬式では仏教なのにお清めの塩を誰もが貰いたがりますが、本来は間違いです。ただ日本の仏教と神道が、至る所で習合出来るのは、仏教が論理的根拠に基づいているのに対して、神道の場合は明確な教義を持たないため、人々に受けやすいようにお互いに利用したからです。結果、農耕に害することは、何かが穢れたからだと後付けして神の御霊を鎮める行為として、儀式によって権威づけたのです。そして仏教も怨霊退散の祈祷に使われていくのです。縄文式の魔物や怨霊と清め、弥生式の穢れ、仏教も、儒教も取り込んで、日本文化の中で様々な教えに背くことを「ケガレ」と表現するようにもなりました。そして、「よごれる」は一時的・表面的な汚れで、洗浄により、除去できるのに対し、「けがれる」は永続的・内面的汚れで「清め」等の儀式により除去されるなどと、後付けするのです。

 汚れとはとは何か考えると、汚れていない物とは何かという疑問に突き当たります。古代人は、入れ墨もしていたし入浴もしていなかったのですから、汚れに対しての感覚は今よりずっと違っていたはずです。と言う事は、逆に綺麗な物が珍しく、綺麗な物への憧れは、今よりずっと強かったと思われます。例えば、染色。染色は、意識的に汚すことでもあります。汚れの中から染料は発見されていきます。では、穢れはと言うと、目に見えない汚れですから、清めの水で落とします。つまり、汚れも、穢れも汚染は、水によって解決できると考えているのです。縄文人は比較的食物として簡便にとれた貝や海藻を食べるため海岸付近に暮らしていましたから、塩水の効果は十分に認識していましたし、塩の製造も一部していましたから、海水により清められると信じていたと考えられます。そして、海水がないときは、塩を使ったのだと思われます。酒は、貢ぎ物で後世に追加された物と思われます。いずれにしても、日本の文化では、汚れも、穢れも儀式をすることで神は許すと考えています。穢れは、自らの身体を洗濯して(みそぎ)謝罪(はらえ)すれば浄化できてしまうのです。つまり、キリスト教などの言う原罪的感覚はなく謝罪すれば済むという事なのです。日本人がまず謝れというのは、謝って平伏すなら神は許すという事なのです。それは一方で、許し合うことでの共存を意味しています。汚れも穢れも、洗濯すれば再生できるが基本なのです。