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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

雑草は農耕がはじまってからの話

 縄文時代には、雑草という考え方はありませんでした。雑草というのは、栽培種という物から見ると、栽培種ではない草という意味でしかありません。つまり、人間が選んだ物以外は、雑草なのです。しかも、それは変化しているのです。縄文時代には野菜の栽培をしていませんから、自然に生えている全ての草が食べられるものか食べられないものか程度の違いしかありませんでした。弥生時代に農耕が始まると畑の作物の中に生えてくる草は雑草として引き抜く対象となったのです。ところが、古代の「野菜」というのは今で言う山菜のことで、ウド、フキ、ミツバ、セリでしたが、時代とともに海外から栽培種の種が持ち込まれ、現代の野菜となっていく過程で、どんどんと雑草へと押しやられていくのです。そして現代の多くの人は山菜採りとしても認識できなくなって出合ったとしても雑草としか見えなくなっているのです。今日本国内で栽培されてる野菜は100種程度で、そのほとんどすべてが外来種です。ダイコン、ハクサイ、ネギ、キュウリ、ダイズは中国周辺。タマネギ、ニンニク、ニンジン、ホウレンソウは中央アジアから中近東。キャベツ、レタス、アスパラ、セロリ、カブは地中海沿岸。カボチャ、サツマイモ、インゲン、トウガラシ、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、ピーマンは中南米。そしてオクラや豆類、ゴマがアフリカと在来種などありません。日本国内の草はみんな雑草なのです。過去から、動植物は移動しています。特に植物は、種子を鳥や風・動物を利用して生活の場を探し、そこで繁栄できることを目指して移動しています。それは、人間も同じで、地球上のあらゆる場所に拡散しました。その中で、動植物の移動に一番関与したのが、実は、人間なのです。自然の移動・拡散のパターンを破壊して、人間の感覚だけで改良までして、自分の都合のよい動植物の移動を繰り返したのは人間です。例えば、馬・牛・羊・犬・猫は、世界に人間とともに移動しました。人間は利用価値があると思うと、勝手に移動し、価値が無いと思うと、攻撃します。例えばペット。販売できるとなれば、密漁してでも移動します。日本オオカミは絶滅しました。人間の往来が大きくなると、それは誰も管理することが出来ずに地球規模で起きました。そして、人間の単なる趣味で移動させられた動植物が、その地に適応繁殖しても野菜にならない物は、雑草として迷惑なものとされ駆除の対象とされます。人間は、繁殖の原因としての天敵論を展開して、現地では天敵がいて過剰に増えないように自然のバランスがとれているが、移動場所には天敵がいないので異常繁殖して害をもたらすと言います。しかし、勝手に移動を繰り返して、そのバランスを徹底して崩している人間が言えるものではありません。また、天敵論は、聞こえの良い言い訳で、天敵がいなくても繁殖できない物も、自然界に元々天敵などいない動植物は沢山います。それを天敵論だけで、だから繁殖したんだというのはあまりにも偏った論なのです。繁殖するにはそれなりの事由があって、アライグマやハクビシンなどは、人間の生活圏で繁殖しています。でも、雑草は駆除の対象なのです。野菜以外は雑草なのです。

 それは、人間社会も同じです。会社の中でも野菜と雑草に分けられてしまうのです。しかも、今日の野菜は明日の雑草かも知れないのです。良い野菜が見つかれば、この野菜は明日から雑草なんてことが、繰り返されているのです。人間は、農耕を始めたときから、栽培し収穫でき、保存・加工の出来る野菜と、野菜の成長を邪魔する雑草や害虫そして、保存食を盗む害虫や動物は、駆除すべきで正当だという感覚を育ててきました。だから、社会を害する物となれば駆除することも正当としてきました。自分に利益をもたらさない物をを雑草としてきました。同じ、いきもので、地球の生物だ、どこで暮らそうと自由だと言う事を否定して、駆除し、これからも駆除続けるのです。それは、今日の社会でも同じなのです。雑草と思われたら引き抜かれてしまうのです。