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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

野の朝顔の話

  朝顔は、立木や柵に巻き付いて上に登ります。庭に咲けば、誰もがすぐに朝顔と分かる花の一つです。朝顔は、奈良時代に中国から伝わった花ですが、花の観賞ではなく種が薬として使用されていました。朝顔が鑑賞として一般的になったのは、江戸時代に園芸種として栽培されたことからです。園芸種と言うのは、人間の手によって改良された品種ですから、生命力は、野生種とは違って強くはありません。種が野に溢れても、何世代も続いて行くことは難しい種になってしまいます。また、庭とは違い、人間による単独で成長でき花を咲かせるような保護もありませんから、野原の厳しい生存競争に晒されるとさらに弱いところがあります。野の朝顔は、草丈より上に登ることも出来ませんし、他の草に覆い被さって駆逐するなんてことも出来ません。第一、巻き付く力は、草を締めあげるほどではなく、寄り添う程度のものなのです。沢山の野の草花の中で、張り付くように葉を延ばし、その下に人は気がつかないような花を咲かせます。実が出来ても次代へ繋ぐだけの生命力を持っているかどうかは春にならなければ分かりません。誰も知らないままに消えしまうかも知れません。

 今花屋さんにある花は、人間の手による園芸種という野にはない花ばかりです。人の手が無くなれば野生に帰るという事はできず、消えてしまうかも知れない存在です。今環境の多くは、人の手によって作られたものが多くなっています。もっと言えば私たち自身が人という環境の中で作られた人間種になりかかっています。人間の野生種は日本には既にいないのかも知れません。作られた綺麗な花だけでなく、野の花にも思いを寄せられる感覚をなくしていったら、野の朝顔を見つけることが出来なくなると思うのです。