知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

江戸時代は刑務所は無かったの話

 現在では、罪を償う場所として刑務所があります。しかし、江戸時代までは刑務所は無かったのです。あったのは今で言う拘置所です。拘置所というのは、裁判を受けている人が拘束されているところですから、刑が確定するまでの場所です。江戸時代は、鉱山・工事現場送りは死を意味するほど過酷でしたが、身分による違いがあっても、規制・条件・監視などの制約付きですが、社会に戻されることが殆どだったのです。島流しとか所払いとかを含めて、額や腕に入れ墨をするなど犯罪者とレッテルを貼った上で、社会で自活させていたのです。現在のように、犯罪者を社会と隔離させるための設備を作り、刑期の間税金で生活は保障すると言う事はありませんでした。結果として犯罪者は、世間の白い目に晒されて生活できずに死んでくれたらそれでよしという物だったのです。犯罪者は、公的な保護はされていませんから、仇討ちもあり、私刑もありました。自活と言っても周りの支援が無ければ出来ない事でもありました。

 現在の刑法では、犯罪者は刑期に応じて隔離されます。それは、危険な者が隣近所にいない方が社会として安全だからです。現実に窃盗などや性犯罪、覚醒剤などは再犯率が高く、繰り返し犯罪を犯しますから、隔離していた方が社会は安心です。しかし、隔離した犯罪者の生活を保障するための費用は税金で賄わなければなりません。法務省が、正確な費用を明示していませんが、1ヶ月一人当たり50万から20万程度がかかっています。この数字の違いは、刑務官の人件費や諸経費、建物の維持などをどのように組み込むかで違っています。でも、月一人20万円以上かかっていることは事実だと思われます。刑務所では、罰だけで無く教育訓練していると言いますが、再犯率から考えれば成果効果は低いと言えます。何故なら、犯罪者の多くは、対人関係による問題を抱えている場合が多いのに、隔離して特定の人としか話せないようにしているのですから、社会の多種多様な対人関係には対応できません。犯罪に対する罰のあり方として隔離すると言う事と自立して生活していくことは再検討されなければ生活保護費よりも高い費用をかけることが困難な時代がやってくるかもしれません。