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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

偏見は大人になって培われるの話

 子どもの時から国際交流に関与させることが人種偏見などには効果的だという人もいます。しかし、最近の戦争を見ても、子どもの時から一緒に遊んだ近所でも宗教的対立で戦ったりしています。子どもの時には、差別も偏見も意識として考えていません。だから子どもは何にでも興味関心を持ち、仲良く出来ます。仲良く出来たから、偏見が無くなるなんて考えるのは甘すぎます。偏見は大人になって培われる、大人の病なのです。考えてください。小さいときに触れた物でも大人になるとなぜ触れなくなるのか。ミミズ、芋虫、ゴキブリ、ハエ等々、子どもの時には遊びに使えたような物でも大人になると見るのさえも厭がる物が増えてきます。自然に対してさえ、子どもの時と大人になったときでは感覚・感性は変わってしまうのです。そして、なぜミミズは嫌かと問うと、大人は様々な理由を並べ立てることが出来るのです。そして、それを正当化することも出来るのです。子どもの様な、興味関心が高いときは自ら求めてもその内容を検証しません。大人は、興味関心が無いことでも不安感や嫌悪感を吹き込めば出来たことでも出来なくなります。

 子どもの時に一緒に遊んだとしても偏見は大人になってから培われますから、子どもから始めても効果は低いと思われます。偏見は、子どもの時には出来たことが、なぜ大人になると出来ないのかと大人が考える事だと思うのです。沢山の知識、沢山の見聞、沢山の経験が偏見を強くしています。偏見の無い子どもに期待するのでは無く、大人の中にある偏見と言う不純物を取り出すことが大事だと思うのです。嫌悪感や差別感と言う不純物を、取り除くことが出来るのは、子どもの時に自然に触れた感覚を大人が取り戻すことだと思うのです。