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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

点滴の話

   医学と言えば、結構科学的で最先端の様に思うのですが、100年ぐらい前の1900年頃には、血液について血液型はもちろん、血液を体外に採り出したときに凝固するのを防ぐ方法も知られていなかったのです。長い歴史の中で、戦争があって人が傷つき死傷する事や、死体を乾燥させて保存するなどで、解体したりしていたので臓器のことや骨格について知り抜いていたのに、血液の事は分からなかったのです。血液型占いも日本独特で占いとしては新興宗教ぐらい新しいものです。ですから、血液型に関係なく輸血したり、動物の血を輸血してみるなどの人体実験並のこともありました。輸血に伴って起きる重い副作用や死亡事故などは当たり前の様にありました。本格的な輸血が出来るようになったのは、医学だけが進歩したからでは無く、科学としての顕微鏡や生化学などが進歩してからです。他の分野の進歩を応用して血液の分析や抗凝固剤などが出来たからです。一つの分野だけが抜きんでて発達するなんてことは現在の科学ではありません。ですから、応用力としての組み合わせ力や、複雑・多様な中から発想選択力などが求められています。次から次へと最新の回転に見合うような人材が求められています。でも、最新の病院へ行っても医療方法として点滴しています。点滴は、血液に薬剤を注入する方法で、誰もが今では当然と思っていますが、重力を利用したとても単純な方法で、最新の科学とはとても言えません。でも有効なのです。

 最新の医療の中でも、単純な方法が生きています。人間の生活も、複雑で多様化したように思いますが、服の種類は多くなっても着るという行動は単純な事です。何を着きるかに振り回されていると、複雑多岐になった現代社会に飲み込まれてしまいます。人間の生活は、もっと簡素で単純で素直でも良いのだと言うところから最新の器機を見つめてみてもいいと思うのです。