知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

誰も責任なく、さらりと流されたひじきの話

 食品の栄養価とか、カロリーは、適正ではないと話してきました。理由は、食品に含まれている成分の分析は出来ても、胃や腸で成分通り摂取したか不明だし、排泄物の中に残された残量を確認しなければ摂取量は不明でしか無いからです。さらに、吸収しても人体にどれほどの効果があるかはもっと正確では無いからです。先日、食品成分表の改訂でひじきの鉄分が実は、十分の1しかなかったと発表されました。病院や施設だけで無く使われていた栄養計算の物差しが間違っていたという話です。しかもちょっとではありません。鉄分は、貧血と云われる人にとっては大変なことで、女性には重要な指針でもあります。これまでの数字を簡略して言えば、同じ条件での点数は、ひじきは55点で、卵の黄身6点、きなこ約9点、アサリの佃煮約19点です。誰でもが卵黄身10個喰うよりも、ひじきで何とかするかと信じていたのに、実は、6点だったという話です。鉄分全然たりないのに「お墨付き」で計算していた専門家は、何も言いません。ひじきなんか、うんこに形のまま出てくるから成分あったって摂取されないと言っても、ひじきを粉にして使用しても、栄養計算していた専門家は何も言いません。人の生死、人の財産、社会の信頼に大きく関わらないとなると誰も謝罪をすること無く、さらりと流されてしまいました。

 ひじきの成分が違ったのは鉄釜を使用せずステンレスになったからと言うなら、ひじきには元々鉄が無く鉄釜から鉄を貰っていたと言っているのと同じです。つまり、同じように加工時に添加物を入れて成分を増量されても分からないと言うことです。専門家の言う事を聞いて頑張って「ひじき」を食べていた人は、「お墨付き」の権威に騙されただけです。でも、誰も責任はとりません。定規が間違っていたのに、その定規が人の生活に関わっていたのに誰も責任はとりません。お墨付きを出した人も、お墨付きで偉そうにしていた人も責任はとりません。実証すると言うのが現場です。お墨付きで仕事をやるのでは無く、現場は実証する場で無いとこんな事さえ見抜けないのです。