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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

自分から出たものは汚いの話

 自分の体の中にあるときは身内ですが、一端体外に出てしまうと、もう身内ではありません。例えば排泄物 絶対に触りたくもありません。汗なんかも拭き取ることはあっても大事にする人はいません。爪をなめる人でも切った爪には関心はありません。髪の毛も付いているときは大事にしますが、抜けてしまえばゴミです。唾液・鼻水・耳垢・自分の体を支えてくれましたがあっさりと不要物です。それでも、目に見えるものは自分で処理出来ます。でも目には見えない臭いや言葉は自分ではどうにもなりません。では、口から入れるものは、綺麗かと言えば必ずしもそうではありません。自分が納得しているだけで、不純物だって摂取しています。単純な例では、小魚が上げられます。小魚のお腹には消化途中のうんこだって入っていますが、一匹ずつはらわたを出したりはしません。自分が納得して摂取し、自分に必要なものだけ取るだけ取ったら後は捨てるという身勝手さです。生きるエネルギーとして様々なものを摂取しますが、自分に必要なものだけ取れば排泄し触ろうともしません。実は、それは人間関係でも同じなのです。摂取するときも、選別していますし、排泄するときも無意識に行っています。特に排泄するときは相手の気持ちなんて考える事はありません。ただ汚いものとして排除されるだけなのです。どんなに役に立っていても。

 人は自分では意識して人に会いますが、その関係は無意識に排泄されて仕舞うことがあります。特に言葉は、身から出たものの一つとして、排泄物のようなものなのです。言葉は、日本では古来から言葉に霊力があると信じられてきました。でも、人が発する言葉は他人にはどのように見えようとも、本人の中では排泄物の一つでしか無いことがあると思うのです。決して言葉には聖霊のような純粋さないと思うのです。