知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

あなたもシャーマンの話

 紀元前10世紀アーリア人が、ヴェーダの中で、ブラフマン(全体)とアートマン(個人)と言うことを考えていたらしいのです。日本は、縄文時代なので記録はありません。でも、縄文から口伝していたはずの卑弥呼はシャーマンの様な人ですからきっとと同じように考えていたのでは無いかと思うのです。つまり、全体としての自然、個人としての人間、畏敬の対象としての自然、生者としての個人。現代のように中途半端に科学を習うと他者に馬鹿にされそうと口に出さないような事もなく、自然と人間の関係をじっくりと考えたのだと思うのです。逆に今は、利害で人間と自然を語る場合があるのですが、自然の中で人間が存在する意味を考えたのがこの時代なのかと思うのです。そして、この時大事だったのはシャーマンと言われる自然と交信出来る人なんですが、現代的には代表者みたいな扱いをしていますが、私は全員がシャーマンだったと思っています。みんなが自然と交信出来たからみんなが同じ行動が出来たのだと思っています。祈りをするのは人間だけです。その祈りは自然との交信です。でもそれを口に出すと今では笑われます。

 人は一人一人シャーマンとして自然と交信し、全体の中の一人では無く、一人一人が全体を構成していることを確認しています。だから、一人一人が大切なのです。対人関係は、自然の中の人間だけという一部分の中の利害に左右されています。そこでは、一人一人が分離されて仕舞うことがしばしば見られます。原点は、だれもが自然と交信出来ると言う事だと思うのです。