知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

誉めて育てる先生の話

 教育の話で、叱ることの反対が誉めると言う事があります。愛の鞭といって叱るより誉める方が人権としてもとても優しい方法に聞こえます。でも現実の場面を見ると誉め続けられる環境などありません。学校の期限付き環境でたいしたことでも無いような事まで誉められて先生が替わった途端に自信どころか自己不信になる場合もあります。叱るも誉めるも適正で無ければ人の心には響きません。誉められて、その気になって頑張って、利用されるなんてことは普通にあります。学校なんてクラス経営として効果があると報告しても一人一人がその後どうなったかには無関心です。誉められて伸びるを裏返すと自主性よりも他人からの働きかけで反応している他力依存に過ぎません。誉めてくれる人が上司や先輩にいないとやる気が出ない人間に育てたのではいつも誰かの庇護の元に良いように使われているだけになってしまいます。誰かに評価して貰う事は、評価者の価値観に近づくことを目指させているだけで、評価者を上位に置いた評価者のずるさだと思うのです。対人関係では、評価はバラバラで変化する。だから、自分は変わらない自分であり、評価に右往左往しない自分を持てるように育てることが個別だと思うのです。

 人を育てる・教育するなどと云う人は、誉めるなどと言う評価ご褒美で自分の屁理屈を押しつける前に、自力で自分を大事に出来る方法を教えるべきだと思うのです。自分が大好き、だから相手を傷つけられない。自分を守りたい、だから相手を攻撃しない。叱るも、誉めるも結局他人の評価です。他人の評価に惑わされずに、自分を守れる対人関係方法を考える方が良いのでは無いかと思うのです。